般若宗が認定する現代の大聖者(その2)

シュリ・サティア・サイババについて


シュリ・サティア・サイババ(一九二六〜)

 
 「サイ」はイスラムの「聖者」を意味し、「ババ」はヒンドゥの「父親」を意味する。つまり、イスラム教とヒンドゥ−教の垣根を取り払った超宗教的立場からの名前である。
 十四才の時に、前世の記憶が蘇り、同時に超越的な霊力も回復し、シュリ・サティア・サイババとして、真理と幸福を求める人々に自身を捧げる生活に入った。
 一つ前の前世について、彼はシルディのサイババである、と宣言している。シルディ(村)のサイババは、既に数々の奇跡を起こしながら、帰依者の霊的覚醒を促し、礼拝意識の高揚を促して来た偉大な聖者であった。そして、八年後に、南インドのヴィシュヌ信仰の厚い家庭に再び転生するとの予言をして、一九一八年に逝去した。その予言通り生まれたのがシュリ・サティア・サイババである。
 もしも、この流れを真実として受け入れるならば、現在のシュリ・サティア・サイババが強大な霊力を備えて、多種多様な「方便(便法)」を使って多くの人々の霊的覚醒を促し、「梵我一如」のウパニシャッドの霊的真理を宣揚していることも、因果律に基づいた当然のステップ・アップとして首肯できるであろう。

 また、シュリ・サティア・サイババは、二○二○年、九十四才で逝去し、その八年後、インドはマイソ−ル州グナパルティ村に転生し、二十一才の時に、過去世を思い出し、プレマ(至上の愛)のサイババとして圧倒的な霊力を揮う、とも予言している。(この予言が本当に成就するか否か、皆で注視して行けば良い。)
 シュリ・サティア・サイババが教える道は、主にバクティ・ヨ−ガ(特定対象礼拝)を基本に据える。即ち、弟子がグルであるシュリ・サティア・サイババに意識集中し、誠実な帰依心を捧げて瞑想することで、その弟子の意識に光明を流入させ、意識を浄化・変容・向上させるものである。但し、バクティ・ヨ−ガ一辺倒ではなく、叡智(ンニャ−ナ)ヨ−ガの要素も加味して「不二一元哲学」を優しく説示し、加えて、実践の容易な「光明瞑想技法」や伝統的な「ガヤトリ−・マントラ」の正しい奉唱法を教え、また「無私の奉仕行」と「日常の仕事」を「神に対する誠実なる礼拝行為」として行なうことや、日々、熱いバジャン(宗教歌)の奏上をすべきことなどを教える。
 特に、二十四時間連続バジャンのイベントは、シュリ・チンモイの二十四時間ランと軌を同じくする行事と言える。 
     
 しかし、「シュリ・サティア・サイババはペテン師だ」と非難する者も多い。これは、シュリ・サティア・サイババが伝道の方便(便法)として、自在にオカルト的な力を操って奇蹟を起こし、そうした奇蹟を楽しそうに「一つのリ−ラ(遊戯)」として開演している様子を見て、無知な徒輩(ともがら)が、自分たちなりに下した結論である。
 確かに、手品師の如き振舞いは、多くの誤解を受け易いものである。しかし、上辺だけを見て判断してはならない。
 或る程度、正しい瞑想をする力の有る者ならば、シュリ・サティア・サイババ自身が模範的に唱えるガヤトリ−・マントラの波動を聴いても、彼自身が模範的に歌うバジャン(宗教歌)に耳を傾けても、そこに「サマディの波動が有る」ことを感じ取ることができるであろう。
 また、彼の「眼」に現れる「大静謐の波動」を見ても、信者のエゴを一瞥しただけで震え上がらせる聖なる威厳に満ちた「眼光」を見ても、また、プッタパルティ一帯を覆う巨大な大光明のオ−ラを見ても、帰依者の熱烈なバジャンの奏上に感動して大慈悲を垂れる愛の眼差しを見ても、彼が疑いようのない大聖者であると識別できるはずである。

 真の聖者は、他の真の聖者を容易に知ることができる。故に、新興宗教の教祖が、シュリ・サティア・サイババをペテン師だと非難するならば、それは、その教祖の方がペテン師であることを自白しているに等しい、と言えましょう。
 また、ハタ・ヨ−ガに習熟して、長期間断食できる能力を会得したとか、読心術を会得したとか、空中浮揚ができるなど言う者があったとしても、シュリ・サティア・サイババについては「本物かペテン師か自分には識別できない」と言うならば、その者のヨ−ガの力は極めて低級なものに過ぎないと言うしかないでしょう。何故なら、「霊的な正しい識別力」をもたらすヨ−ガこそが正統なヨ−ガであり、それこそが実践者を間違いなく正しいゴ−ルへと導くものだからです。

 ところで、サハジャ・サマディの大聖者が複数存在した場合、その「媒体性能」が問題となります。
 シュリ・サティア・サイババは、その身において、既にイエズス・キリストの媒体性能を凌駕している、と表明しています。世界中のキリスト者は彼の大胆な宣言にびっくり仰天するでしょう。しかし、シュリ・サティア・サイババの長年に渡る実際の「巨大な霊的業績」と「彼が行使した奇蹟の記録」を詳細に調査すれば、「成程、イエズスの能力を上回っている」と納得できるでしょう。
 従って、シュリ・サティア・サイババの予言通り、次にプレマのサイババとして転生して出現することがあるならば、間違いなく人類が未だかつて経験したことがないほどの「圧倒的な霊力の開演(パフォ−マンス)」を行う大聖者となることでしょう。
 これは実に『良き知らせ』だと言えます。

  シュリ・サティア・サイババの場合は、「各種の能力」において高い完成度を示しており、オカルト的能力も自在に行使しています。
 それ故、「詐欺師・手品師」と馬鹿にする者たちがいる一方で、彼の恐るべき霊力に畏敬の念を捧げて「帰依者になる者」も実に沢山誕生することになります。「彼の感化力・説得力・訴求力は強大」である、と言えます。
 これが、サハジャ・サマディーの大聖者の特徴です。

 一九九年には、インド・ヒンドゥ−教の最大組織であるV.H.P.(ヴィシュヴァ・ヒンドゥ−・パリシャ−ド)の総裁であるアショク・シンガル氏とその幹部数人がシュリ・サティア・サイババに帰依の礼拝を捧げるに到りました。
 インド最大の信徒数を誇り、インド政府与党を支える母体団体でもあるV.H.P.のトップ(総裁)アョク・シンガル氏(シンガル氏の日本サイビル訪問祝福メッセージはこちら)がシュリ・サティア・サイババに頭を垂れたという事は、事実上、全インド九億の民の(信仰上の)トップにシュリ・サティア・サイババが立ったことを意味しています。これは、実に大変なことです。
 シュリ・サティア・サイババの活動は、小さいところから徐々に拡大して行き、遂に全インドの最もメジャーな中心組織にも認められ、崇められる大聖者としての地位を確立したのです。そして、その名声はさらにさらに拡大して行くことでしょう。
 こうした事実からしても、シュリ・サティア・サイババを軽々しく「詐欺師」呼ばわりすべきではありません。彼を「詐欺師」呼ばわりすることは、インドの85パーセントを占めるV.H.P.をも愚弄することにも通じるからです。慎重に真偽を判定すべきです。
 まことに、人々の帰依の輪は巨大なうねりとなって確実に広がっているのです。

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このページの最終更新日 2004/1/11


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